2011年3月28日月曜日

3/25(金) を振り返って3 第1次支援チーム(山田町 町役場)ケイシさんより

山田町に行き、町役場に足を運ぶ。まだあちこちで自衛隊が瓦礫の撤去作業をしている。役場近くは気仙沼の時と同じように一面焼け焦げて赤茶けている。

ちょうど配給の時だったようで、500人程の人が水や食料をもらうために並んでいる。小さい子やお年寄りも列に加わって並んでいる姿に心痛む。少し立場が違えば、自分も同じ立場であることを覚え、今の自分にできることを精一杯させていただきたいと思う。

役場の人と話し、支援物資の幾らかを倉庫に納める。役場の下まで被害があった感じなので、当時の状況を尋ねると、波ではなく波に押された家が次々と迫ってきたという。

そして漏電から火災。当時は道が全く寸断され、消防車など来れるはずもなく、燃えるにまかせるまま。津波の被害を免れた多くの人が火災で亡くなられたという。また助かった人も高台から自分の家が燃えていくのを、ただ眺めるしかできなかったという。こんな情景が東北地方の数百キロに渡って起きたと考えると、改めて津波の威力の凄まじさに背筋が寒くなる思いがした。被災者の心の快復にはどれだけの時間がかかることだろう。自分はそのために何をすることができるのだろう。

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