2011年3月28日月曜日

3/25(金) を振り返って4 第1次支援チーム(釜石市)ケイシさんより

山田町から三陸道を使い一路、釜石市へ。そこで新生釜石教会の柳谷先生にお会いする。教会堂と牧師館の一階部分は津波の被害のためドロだらけに。ただ前日にクラッシュジャパンというキリスト教系の支援団体のボランティアが来て、片付けていってくれたようで、ドロや物は道端に山と積み上げられていた。

先生ご自身も避難所生活だが、日中は教会の前で焚き火をたき、来られる人々のカウンセリングや物資の配給をしておられるようだ。先生としばしお話しさせていただいた。

物資も必要だが、物ではなく人との繋がりが大切と仰っていた。確かに一時的な支援では決して立て直すことのできない被害だし、何よりも立ち直るためには人からの励ましが必要だ。私たちは、一人ではないという意識を一人一人が持つことができなければ、本当の意味で立ち直ることはできないと思う。継続した支援、実際に足を運んでこそ伝わるメッセージが確かにある。柳谷先生から大切なことを学ばせていただいた。

また先生は、生き延びた人達が、生き延びるというステージから次に進むべき時も来ているといわれた。たとえば毎日、瓦礫と化した光景を見ている避難所の人達が、人間らしい生活を味わうために花巻辺りまで出て温泉旅行に連れていってもらいたいとか、ちょっとしたビタミンドリンクを飲みたいとかラーメンを食べたいとかだ。確かに言われる通りだと思う。なんとかしていきたいと思う。

教会に残りの物資を降ろし、先生の依頼で近くの小学校へテントを取りにいく。これを教会の前のスペースに張って、居心地のいい空間を作りたいそうだ。そういえば、ここには震災後1人の青年が北海道から来て、ボランティアとして住みこんで先生の働きを助けているそうだ。私たちはあちこち回っているが、彼のように一ヶ所に留まって働くボランティアも必要だと感じる。

そんなこんなしているうちに、時刻は夕方6時に。予定では遅くとも午後1時に釜石を出て帰路につかないと山道で雪が降る可能性が。。ノーマルタイヤの私たちのマイクロバスではかなり厳しい。
柳谷先生に別れを告げ、急ぎ横浜に向けて出発。

0 件のコメント:

コメントを投稿